川越銘木センター

●銘木辞典

銘木に関する概括(がいかつ)的な辞典を更新していきます

銘木と密接な関係にある和風建築和の美に関する用語も納めていきます

現在編集中です。ご意見収集の為に仮公開しつつ編集していきます。

最終編集日2018.8.21

※ドラフト原稿

※わ行より開始。以降あいうえお順で進行

わ行

[わ]

●和風建築(わふうけんちく)
 日本人は古来より作ったものに精神性を籠(こ)めてきており、建築物にも精神性を籠めて作ってきた。その精神性の根底には身の回りの多くのものに神が宿っていると考える日本神道の八百万神(やおよろずのかみ)の思想があると思われる。ゆえ日本に息づく精神性を踏まえて建てたものが和風建築と言えるのではなかろうか。なお和風建築の精神性の中心となるのが床の間となる。その建物の精神の在り処とも言える。ゆえ床の間がある家は精神性をもった家であると言える。和風建築の最低限の条件としてと床の間がある建物とも言えよう。⇒床の間の項目もどうぞ ⇒和風建築の歴史の項目もどうぞ

●和の美の神髄となる概念(わのびのしんずいとなるがいねん) 
 和の美の世界────書道、和裁、生け花、茶道、そして和風建築などには、和の美の神髄となる概念が存在する。それは美術館で解説されていたり、各界の師匠が言葉として敢えて教えてくれるものではないが・・・『真行草・しんぎょうそう』という和の美の神髄となる概念が存在する。和の美の世界の神髄を知る事とは真行草を知る事であり、真行草を知る事は和の美の世界の神髄を知る事である。もしもお若いアクセス者さんがこの言葉を今ここで知ったのであれば、今、この瞬間に和の美の入り口に正式に立った日となるのではなかろうか。この銘木辞典では和の美の世界にも踏み込むゆえ是非記憶に留めておいて頂きたく。⇒真行草の項目もどうぞ

※その他のわ行は最下段にて

※以降 あいうえお順で進行

あ行

[あ]

上がり框(あがりかまち)
 玄関から建物内に上がる所に据えてあるのが上がり框。近年では集成材の框(画像参照)を据えられる事が99.9%である。見た目が無垢に見える集成材の框と無垢材の框では、踏んだ時の感覚やその家全体の雰囲気にまで影響を及ぼすので、総無垢材の家を建てる事が叶わなくとも上がり框だけは無垢材を用いたいところ。
 和風建築の歴史の項目にて解説しているが現代の日本の住宅では玄関がある事は極めて当たり前の事であるが5~600百年前の和風建築から玄関が据えられるようになったが、外界と屋内を繋ぐ重要な空間と考えられていた。 江戸時代の一時期には庶民の家に玄関を据える事を禁止していた時期があった通り、玄関は下ばきを脱ぐだけの空間ではなかったのである。
 外界から屋内に入る際に必ず跨ぐ上がり框を合板ではなく無垢材を据える事はその家の精神性にも関わること。重要な要素であるゆえ、ぜひ、いまいちど玄関の歴史や大切さを振り返り、無垢材を据えて頂きたいと思う。なお、様々な材種や杢目(もくめ)から選ぶことが出来きる。弊社では常に数十本の上がり框用乾燥済銘木を在庫している。
 注意点としてはハウスメーカーの若い営業さんは集成材と無垢の区別がついていない事があり、集成材のものを無垢として説明してしまい後にトラブルになった事例を度々聞く。

画像:集成材の框(かまち)
素晴らしい集成技術の賜物であるが、無垢の割合は表面の0.5~0.8ミリ程度。世のほとんどの住宅はこの張物の框である。
注文住宅で新築なされるのであればせめて框だけでも無垢を・・・・そのような楽しみを味わうための「注文」なのですから。

 

[い]

○一位(いちい)

[お]

●落とし掛け(おとしがけ)
⇒「床の間の落とし掛け」をどうぞ

 

か行

[か]

●カウンター

○唐松(からまつ)

●川越銘木センター(かわごえめいぼくせんたー)
 中野区の清水銘木から独立。当初は現在の地で清水銘木川越営業所として営業し後に川越銘木センターとして独立。営業開始当初は高度成長期の只中にあり正式開店前から引き合いが来るほどであった。現在でいうところのBtoBビジネス(対法人)が基本なので一般の方にはほぼ知られていない。川越に40年以上住むかたに「なにやら木の会社があるけど何をしている会社なの?植木屋さん?」と言われる事は珍しい事ではない。
 対法人の銘木屋は信用がなおさらのこと大切なのでおのずと大変慎重に商売をするものである。個人さんを相手に非常識な品質のものや非常識な価格で販売していた銘木店が過去にあったのは事実であり、銘木店という言葉に良い印象をお持ちではない一般生活者の皆さんがいらっしゃるのも事実だが、弊社は対法人ビジネスで築いてきた信用を大切にしておりますのでご安心くださいませ。対法人の銘木店は完全乾燥が必須の事となる。すると大量の在庫を常に持ち次代の在庫の準備をする必要がある。弊社に限らず対法人ビジネスで、かつ常時在庫を心がける銘木店は一定以上の規模の倉庫が必要となる理由である。多くの在庫を持てば施主さんにその場でより多くのものから選んで頂ける。こだわりはお互いに大切である。銘木店の廃業が続く中において法人さんや職人さんへの供給や情報支援という社会貢献的立場も求められており、今後もその役目を一生懸命に果たしていきたいと考える。

●含水率(がんすいりつ)
 物質に含まれた水分の割合を示す言葉。樹は伐採間もない頃は100%を超す事もある。材としての数値は一般的に15%から20%の間にまで乾燥していれば良い。ただしその数値に、より永い時間を掛けて自然に乾燥させるのが良い。急激な乾燥は反りや割れを招く。⇒自然乾燥の項目もどうぞ

 

[き]

●木組み工法

●木彫り
 無垢の材から刻み出す芸術。緻密に刻みだす作家になると数千回以上も刃物を入れる。近年その価値が見直され始めている印象を受ける。全国各地に名品がある。

弊社の倉庫の材から彫り出した
お地蔵様
ハンドメイド作品販売サイトで
人気の鶏口舎(けいこうしゃ)さんの作品
この作品は500回以上も彫刻刀で刻んでいる

 

●木の玩具(おもちゃ)
 木の玩具はプラ樹脂の玩具とは異なり金型で量産できない為に大変手間が掛かるがその見返りに温かみのあるものとなる。角を丁寧に丸く磨いてあるものは安全であるが角が尖っているものは買い与える際に注意が必要である。

弊社で自然乾燥させたケヤキ材
から挽いた柾目を利用した玩具
銀座三越クラフトフェア出展作品
デザイン;くろさき、ゆり

 

[く]

○黒柿(くろがき)

[け]

●KD材(けーでぃーざい)
 無垢の木材を自然に乾燥させるのではなく人工乾燥施設において人工乾燥させたものをKD材と呼ぶ。人工乾燥のメリットは短時間で含水率(がんすいりつ)をコントロール出来る点と、施工後に割れが起こり辛くなる事。デメリットは木材からその材種特有の脂分などの成分がほとんど漏出してしまう事。木材の耐水性や耐久性はその材種特有の脂分などの成分があっての事。それを漏出させてしまったら著しく朽ち易くなってしまう。無垢材の機能の長所を廃してしまう問題がある。鉋(かんな)を掛け辛くなるという問題もあり無垢材を使う大工さんに敬遠されてしまう。木材のミイラと指摘する大工さんも。なおKDとはKiln Dryの頭文字より。Kilnとは窯(かま)という意味。 ⇒自然乾燥の項目もどうぞ ⇒性(しょう)の項目もどうぞ ⇒含水率の項目もどうぞ

○けやき(欅)
 樹として:広葉樹。生命力旺盛で姿よく葉の形も美しい。春の芽吹きの時期に根元に耳を当てると水を吸い上げる音が聞こえる。 日本のケヤキは1種。盆栽としても愛されている。なお皇居盆栽コレクションのケヤキは川越で山採りされたもの◆材として:我が国を代表する良材。利用の歴史は古い。耐水性強し。乾燥を怠ると施工後に反る等トラブルに。乾燥に時間が掛かるがそれに勝る魅力がある材。◆利用法:テーブル、カウンター、上がりカマチ、梁、柱、床柱、床柱、地板、床板など。◆銘木としてのケヤキ:玉杢と呼ばれる特殊な杢目が現れているケヤキ材は銘木界の王道。
 

山神宮の大ケヤキさま
その昔天狗様が住んでいたとの伝承あり
撮影地:秩父市

水耕栽培に適応させたケヤキ
生命力の強さを活かした作品
作品名:水栽-懸崖風試1号
※維持は高度な栄養管理が必要


[こ]

●ご縁(ごえん)
 弊社の古い在庫は40年以上を一緒に過ごしている事になる。そのような材がある日突然お越しになったお客様がお買い上げ下さる事がある。そのような時に常々思う事は、樹(材)とお客様はご縁で結ばれているのではないか。樹(材)を仕入れたその40年前からそのお客様と赤い糸で結ばれており、静かにその日を待ち倉庫に迎えに来る日を待っていたのではないかと思うものである。それが樹齢数百年の材ともなればそれはお客様が生まれる前に遡る事になる。長く一緒に過ごしてきた材がお客様のところへ嫁に行く事は大変喜ばしい事であるが、少しさみしい気持ちにもなるものである。


さ行

[し]

●敷居

●式台

●地板(じいた)
⇒「床の間の地板」をどうぞ

●自然乾燥

●シルベスター・S・モース博士
 大森貝塚を発掘した事などで有名。床の間を和風建築の精神性の中心と表現。外国人ならではの客観的視点であり素晴らしい洞察力。動物学者。

●真行草(しん ぎょう そう)
 和の美の世界の神髄となる概念。真、行、草。もっとも手短に伝えるとすれば、真とは正統派。草とは遊び心などを踏まえ真をくずしたもの。そして行とは真と草の中間にあるもので、その境目は曖昧である。なお、そもそもは書道の楷書(真)、行書、草書の筆法を表す言葉だったが、真行草という概念に発展し、茶の湯、和裁、生け花、そして和風建築など和の美の世界に多大な影響を与えている。周囲をよく観察すれば、特に説明がなされていなくとも、この真行草の概念が溢れているものである。なお、重ね重ねになるが、和風建築も真、行、草と3種の様式に大別できる。なお、和の美の世界の神髄としての真行草は仏教の一派である禅宗から生まれたものである。仏教から生まれたともいえる事になるが若いアクセス者さんに対して念のために日本仏教についての項目も残しておく。 ⇒日本の仏教。和の美の世界の項目もどうぞ ⇒和風建築の歴史の項目もどうぞ

●尺貫法(しゃっかんほう)

●書院造(しょいんづくり)
詳しくは⇒和風建築の歴史の項目をどうぞ

●性(しょう)
銘木や木材の世界での性(しょう)とは、材の中に蓄積された脂分などの物質の事を指す。例えばそれを人工乾燥(⇒人工乾燥の項目もどうぞ)してしまうと材の中の成分がほぼ漏出してしまう事になる。そのような際に“性が抜けてしまう”と用いたりする。ちなみに盆栽での性とは枝の生え方や葉の大きさなど生まれ持ったDNAによる個体差の事を“性が良い”“性が違う”などと用いる。

[す]

●杉材の心材(または杉の赤身とも)
 杉材の心材(赤い色の部分)は耐水性が大変強く条件次第では100年以上の耐久性がある。川越市の観光名所である時の鐘にも利用されている。また弊社の道路沿いの看板は杉材の心材でありメンテナンス無しで40年を越えている。

●数寄屋(すきや)
詳しくは⇒和風建築の歴史の項目をどうぞ

●数寄屋造(すきやづくり)
詳しくは⇒和風建築の歴史の項目をどうぞ

[せ]

●千利休(せん の りきゅう)
美意識を芸術として可視化させる才能に長けた偉人。千利休の美意識は今日においても和の文化に多大な影響を与えている。千利休の芸術的才能は様々なものに影響を与えているが銘木の利用においても千利休の美意識に多大な影響を受けている。ビジネスマンとしての才能も突出していたがビジネスマンとしては最も最悪と思われる切腹という壮絶な最期を迎えている。和の美の世界において巨匠以上の存在である事は間違いない。今後数百年、数千年を経ても千利休の美意識が和の美の世界で語り継がれていく事もまた間違いないであろう。

 

[そ]

●草庵(そうあん)
草ぶきの質素な建屋を草庵と呼ぶ。転じて数寄屋(現代でいうところの茶室)の別称ともなった。⇒和風建築の歴史の項目もどうぞ

 

●総無垢材の家(そうむくざいのいえ)
 建物の全ての箇所に突板(つきいた)や集成材(しゅうせいざい)を用いていない家の事。2018年現在の常識的な考え方で計算すると、坪単価80万円以上あれば(土地代含まず)、贅沢なシステムキッチンなどを選択はできないが総無垢材の家を建てる事が出来る。総無垢材の家を建てる最初の一歩目は、総無垢材の家を建てる知識、技術をお持ちの工務店を見つける事から。ハウスメーカーさんの守備範囲ではないので相談先をまちがえないように(迷惑を掛ける事に)。

 

た行

[た]

●竹林と木材
竹林(たけばやし、もしくは、ちくりんとも)の近くに生えている樹は、竹の根から漏出する成分を長年吸っている事になり、木材として製材すると変色しているものである。そのような材は評価が下がる。弊社の仕入れ先ではそのようなものはそもそも出会わないが、様々なルートがあるので市場に出回っているものである。インターネットの発達に伴い個人間取引の機会が増え、そのような難がある材が出回る機会が増えた事もあり注意が必要である。そのような材を意図的に収集し利用するという話は聞いた事が無い。仕入れた人も買った人もよく知らないで売買してしまっている事が多いと考えられる。

●建具

●玉杢

[ち]

●茶室(ちゃしつ)
詳しくは⇒和風建築の歴史の項目をどうぞ

[て]

●テーブル

●天然檜(てんねんひのき)

●天然杉(てんねんすぎ)

[と]

●遠山邸(とおやまてい)
 埼玉県川島町に建つ究極の和風建築。美術館遠山記念館の敷地内にある旧邸宅。訪れた人にそれぞれの見所や思いがあろう事なので詳細は割愛する。入館料(一般)500円。弊社からクルマで20分ほど。和風建築を建てたい、学びたいという施主さんは是非観覧を。※リンク設定

西棟、中棟、東棟に繋がる渡り廊下の総延長は約百メートル
この大きさでありながら隙が無い
国の登録文化財(2000年)
1936年竣工


※遠山記念館様に画像使用許諾確認済み。より画像充実の為調整中。



●床框(とこがまち)
⇒床の間の床框の項目をどうぞ

●床の間(とこのま) 画像準備中
 正式には「床・とこ」。床の間は俗称。和風建築の精神性の中心となる重要箇所。近年では建売住宅などで据えられている事は珍しいが、和の美や精神性を大切にする施主さんは必ず施工するものである。床の間の様式や細かな各部の解説は他の項目にて。床の間のさらに中心となる床柱はその家の最重要箇所であり精神の在り処と言える。和風建築とは床の間がある住宅と言えよう。床の間無き和風建築はエンジン無きフェラーリと例えるべきか。(イタリアのクルマメーカー、フェラーリが造るクルマの精神性はエンジンに在ると言われている)
 なお、床の間を全て無垢材で作るには銘木などの材料費が20万円より、大工さんの手間賃は10万円より。手間を掛けようとすれば切りがないほど。床の間は和風建築にとって最も大切なもの。熟考して施工すべし。⇒床柱の項目もどうぞ ⇒その他床の間関連の項目もどうぞ

●床柱(とこばしら)
 床の間のさらに中心的な箇所となるのが床柱。床の間が和風建築の精神性の中心であり、さらにその床の間の中心部分に設置されるのが床柱である。ゆえその建物の最重要部位と言える。見せ場でもある。施主さんや大工さんによっては床柱をご神木、御柱と表現する方も。国産材、外国産材、杢目など種々相の床柱がある。全体のバランスを大切に。ただしちょっと良い床柱を設置すると家全体の格が上がる。弊社は200本以上の床柱(皮付丸太含む)を常に在庫。価格の目安は国産床柱3000mm:10万円より

●床の間の基本。各部名称

●床の間の基本。寸法に関する事
 床の間には大きくは3種類の寸法のものがある。基本サイズは幅が約3.6メートル(いわゆる2間・12尺)。6畳間の長い方の間が約3.6メートルである。そのサイズを半分にした幅約1.8メートルの床の間もある(いわゆる1間・6尺)。基本サイズを四分の一にした幅0.9メートルコンパクトな床の間もある(半間・3尺)。

●床の間の床框(とこがまち)

●床の間施工のヒント。真行草とは具体的に

●床の間の地板(じいた)

●床の間の落とし掛け(おとしがけ)

メモ※床の間関連は「床の間の○○」と統一。

 

な行

[に]

●日本人の建築物(建造物)と精神性
 さいたま市の武蔵一宮神社は、旧日本海軍の戦艦武蔵の艦橋に分祀し武蔵神社(艦内神社)と命名された。すなわち戦艦武蔵の精神性の中心は艦橋である。他には伊勢神宮には木曽檜(きそひのき)で作る御樋代木(みひしろぎ・ご神体を納める)があり、伊勢神宮の精神性の中心と言える。そのように日本人は大切な建築物や建造物に精神性の中心となる、精神の在り処を据えてきた。そして和風建築の精神性の中心となるのが床の間である。それゆえ施主さんによっては床の間の無い家には住めないとまで言わしめる理由がある。なお床の間のさらに中心となるのが床柱である。

●日本の仏教と和の美の世界
 和の美の神髄となる概念「真行草」の発端は禅宗(仏教の一派)にあるが、注意が必要である。そもそも仏教はインドから始まりやがて中国に辿りついたが元祖であるインド仏教と少々異なる中国仏教といえるものとなった。そして中国仏教が日本に伝来した(いわゆる北伝ルート・北伝仏教)。さらに中国仏教は日本で独自に発展されたが、中国仏教伝来以前に日本には縄文時代に起点があるとされる神道の考え方が根付いており、日本仏教は神道の国の文化を基に中国仏教が融合したものと言われている。ゆえ、和の美の神髄となる概念「真行草」は仏教の一派である禅宗から生まれたものであるが、さらにその神髄には神道の考え方、特に八百万の神(やおよろずのかみ)の考え方がある事を忘れてはならないだろう(無意識的であるがとても大きな影響を与えている)。 内村鑑三氏の表現を拝借しこれらの事を説明すると神道という樹に中国仏教を接ぎ木したイメージである。和の美や和風建築について思い致す時にこの辺りの区別をしたうえで臨む事が国際社会において必須の事ではなかろうか。

[ね]

●年輪(ねんりん)

は行

[は]

●幅(はば)
 樹の成長において上方向への伸長はぐんぐんと伸びていくものだが、径が太く膨張するのは大変時間が掛かるもの。成長が遅い樹では直径30センチに至るのに100年以上を要する樹もある。それゆえ銘木(無垢材)の世界では幅の寸法が増えるほど価格が上がっていく事になる。すなわち幅広材は価値がある。また建材としての利用が主なることから1尺(約30センチ)、1尺5寸(約45センチ)、2尺、2尺5寸、3尺、3尺5寸と、5寸単位で価格が倍増以上する事もある。ちなみに樹齢三千年近い屋久杉の年輪の最も外側では1センチの成長に40年以上掛かっていることがある。そのクラスになると10センチの成長に400年を要する事となる。そのように老木になるほど成長が遅れるので、最初の100年と比較し樹齢数百年を越えてからの100年では径の膨張の速度が明かに遅くなる。さらにはイチイ(一位)のような成長が遅い樹で幅3尺(90センチ)以上の材を採るとなると途方もない樹齢が必要となる。そんな事情を知り始めると銘木への興味が加速し始めるではなかろうか。

 

[ひ]

○ひのき(檜・桧)
 ◆樹として:針葉樹。日本固有の樹。近縁種は海外にも。盆栽としては園芸種を用いる事が多い。純血種は葉や枝を落とすと切り戻しが効かない。それゆえ枝打ちが効きやすく節の無い材を作りやすい。神社などの神木として大切にされている。繊細な鱗片状の葉や皮肌が美しい。◆材として:我が国の木造文化に大きな影響を与えてきた素晴らしい材。耐水性に優れる。正しい利用をすれば数百年以上耐える。凹ませる事が容易であり釘を使わない木組みが素晴らしく効く。日本の木組工法はヒノキがあるから発展したと言える。日本の各地により材の色味や堅さ脂分などが異なる。天然ひのき材とは実生で育ったもの。植林物とは別物として扱われている。◆利用法:梁、柱などの構造体に。カウンターテーブルなど何にでも。

[ふ]

[へ]

[ほ]

●放射性炭素14(ほうしゃせいたんそ)年輪年代測定法
樹木の年輪には大気中から吸収した放射性炭素14(C14、Carbon14とも)が含まれている。その濃度を測定する事により年代測定や過去の太陽活動を測定する事が出来る。屋久杉などの超長寿な樹木からは千年単位以上のサンプルを取り出す事が出来る。なお米国スタイバー博士のチームが、長寿の樹として有名なブリッスルコーンパイン(寿命5000年程度・日本の五葉松に近い)の埋もれた倒木をサンプルにして約1万年前までの太陽活動の様子まで遡る事に成功している。大きな太陽面爆発の痕跡が屋久杉に残っているそうである。材の中心部が残っていればその樹が誕生した年代を推測できるということ。日本においては東京大学宇宙線研究所(柏市)などが研究されている。太陽活動が上昇すると放射性炭素14濃度が減少するとの事。

●盆栽(ぼんさい)
樹を身近なところで鑑賞する日本の文化。樹の成長は根の量と相関があり小さな鉢にて鉢締めると数十年経っても小さなまま維持する事が出来る。里に植えたケヤキは60年もあれば立派な大きさに育つが鉢締めれば下の参考画像のように小さなまま手のひらのうえで鑑賞する事が出来るサイズのままである。しかし大きさこそミニスケールだが幹肌に古さが現れ(盆栽用語では時代がのると表現)、古樹は威厳ある姿となる。

某盆栽協会会長ご遺愛のケヤキ盆栽。樹高30センチ程度。樹齢は60年以上経過していると思われる。現在は某盆栽コレクター氏所有。
撮影地:矢島清芳園(川口市)

 

 

ま行

[ま]

●間(ま)
和の美の世界は、間(ま)、すなわち空間が※書きかけの項目

●窓枠

●柾目(まさめ)

[み]

●実生(みしょう)
銘木の世界において実生とは自然界において発芽し育ってきた樹の事を指す。植林したものは実生とは呼ばない。⇒植林の項目もどうぞ ⇒天然スギの項目もどうぞ ⇒天然ヒノキの項目もどうぞ

ヒノキのタネ。3ミリ程度
このタネがいつか大木に

瓶の中にあるのがタネ。
枝についているのはいわゆる松ぼっくり

[む]

●無垢材(むくざい)
 樹を伐採し、製材しただけの材を無垢材と呼ぶ。近年では突板(つきいた・表面に薄くスライスした木材を貼る)を無垢材と呼んだり、集成材(しゅうせいざい・無垢材の木端を接着剤で集成)を無垢材と呼ぶ事があるがそれは誤り。

[め]

●銘木(めいぼく)
 鑑賞する人の心を打ち、感銘や美しさを覚え心を動かされるような木材を銘木と呼ぶ。心を動かされ感動的なさまを英語ではエモーショナルと表現するが、まさにエモーショナルな木材が銘木である。
 銘木という語が見られるようになったのは近代になってから。商業としては江戸時代に始まりがあると考えられている。

●銘木の精神性(めいぼくのせいしんせい)
 銘木(無垢材)に精神性を感じる日本人は多い。根ざした場所に数十年、数百年、ときには数千年と佇(たたず)み、大地から水を吸い上げ、葉から大空へ発散してきた樹達への畏敬の念のようなものではなかろうか。

や行

[や]

●八百万の神(やおよろずのかみ)
 身の周りの多くのものに神様が宿っていると考える日本文化の基幹(きかん:ものごとの中心となる基のこと)となる思想。日本人は言葉にしないまでも常に無意識的にこの思想を大切にしていると考えられる。縄文時代に起点があると考えられている。日本人が樹や無垢材を大切にする心情もこの八百万の神の思想から生まれていると考えられる。なお和風建築の床の間は日本仏教の禅宗から育まれたものであるが、日本仏教は無意識的にでも日本神道と密接な関係にある事をおさえておく必要がある。

 

[ゆ]

●床板(ゆかいた)
 いわゆるフローリング。ぜひ無垢材のフローリングを使いたい。既製品の無垢フローリングを利用すると便利であるが既製品は価格的な理由から幅が狭くなりがちである。こだわりを持つ施主さんは大きな無垢の盤を購入し特注で45センチ幅(もしくはそれ以上)のフローリングを施工する事がある。なおそのような施主さんは「既製品の無垢フローリングはコストパフォーマンスに優れるが、似たような空間になりがち。それは避けたい。銘木から挽いて特注フローリングにすると空間が変わる」と仰るもの。特注であれば材や色味をある程度選べるのでより理想の空間を実現できる事であろう。90センチ幅の床板であれば10畳の部屋を4枚の板で繋ぐ事ができる。現代はナラを始め様々な材種のフローリングがあり施主さんの好みで選べる幅が広いが、和風建築ではケヤキ、数寄屋造ではマツの人気が高い。原点回帰するのであればそれも良し。施主さんが無垢材の多くを知ると床材はケヤキやマツの幅広材に辿りつくものである。マツヤニが滲んできてそれを乾拭きして馴染ませていくと素晴らしい艶になる。 なお多くの既製品の無垢フローリングは人工乾燥材を使用しているので性が抜けてしまっているものである。過去の話になるがケヤキ材だけで700万円の予算を投じたお宅に材一式を納めた事がある。無垢材好きな施主さんとなるとそこまでこだわるようになるものである。⇒性(しょう)の項目もどうぞ

 

わ行

●侘び的(わびてき)
侘びについての解説は次の項目にて。この項目では侘び的という語を解説する。和の美の世界において侘び的という表現は、線が細いものであったり、質素であったり謙虚な印象を受けるものを侘び的と表現されることがある。そのような意味で侘びという語を用いるのは江戸時代から始まったと一般的に考えられている。

●侘び、寂び(わび、さび)
 茶道(古くは茶の湯)から生まれた美意識の概念。韻を踏んだ発音のリズム感が良く多用される言葉であるが、「侘び」と「寂び」では別次元の言葉を並べている。それぞれの言葉は古くから文献で見られる言葉だが、その二つの言葉を誰がなぜ結びつけたのか?侘び+寂びで新たな美意識の概念を提唱したのか?侘び&寂びと個別の事を並べただけのなのか?明確な理由や意図が分かっていない。その大前提がフィクス(確定)していないので注意が必要である。
 江戸時代頃に侘び寂びという語の始まりがあると一般的に考えられいる。千利休が完成の域に昇華させたといわれる侘び茶の語も江戸時代になってから造語されたというのが定説。江戸時代に侘びブームのようなものがあったのではなかろうか。
 なお現代において侘びと寂びそれぞれの一般的な解釈を集約し簡潔に解説すると侘(わ)びの本質は質素を美としたり控えめな心がけを美とするといった心の内面的な美意識の事であり、寂(さ)びの本質は自然界の時間進行の中で起こりうる物質的な変化(経年劣化等)に美を見い出す美意識の事。
 ただしこの理解にも諸説あるので注意が必要であるが、そもそも、いつ矢が飛んできて刀で斬られるか分からないような戦乱の日本────国土の詳細地図すらない時代に茶人が感じようとした侘びや寂びという美意識を、水道ガス電気というインフラが整い憲法で全ての国民に人権が認められインターネットが発達し外来文化が溢れる現代の日本────宇宙の広さすらある程度特定できている時代に同じ美意識を感じる事が出来るのか?さらに侘びという語が広まったのは江戸時代。江戸時代の人もまた戦乱の世に感じた侘びや寂びを感じることが出来るのか?本来そこまでの事すらも推察し考察されるべきテーマであるゆえ用いる際には最大限慎重になるべき言葉である。なお侘びを美とする美意識の源流は仏陀(ゴータマ・シッダルタ)の思想にあると思われる。⇒和風建築の歴史の項目もどうぞ

 

●和風建築の歴史
※この項目の注意・数百年以上の歴史をもつ和風建築の概括となるゆえ新たな資料の発見により追記や修正が起こりうるのでその度に更新を行うものとする。あくまでも本日時点での一般的な理解をここに掲載している事を前提にお目通し頂きたい。

【竪穴式住居・たてあなしきじゅうきょ旧石器時代につくられ始めたと考えられ縄文時代の遺跡から多く発見される。木材を丸太のまま組み合わせた簡易なものであったが和風建築のことの始まりといえよう。弥生時代になり高床式の木造建築が始まる。王族や貴族の住宅の為に、工具の開発や技術の向上が起こり本格的な和風建築が始まる。

【寝殿造・しんでんづくり平安時代から中世時代頃まで建てられた建築様式。貴族の住宅。丸く太い柱が印象的である。現代の和風建築はこの寝殿造りが発展してきたものである。

【書院造・しょいんづくり武士の住宅。室町時代に始まった建築様式。室町時代の次の時代の安土桃山時代に完成形となったと言われている。寝殿造りから発展した。武士の精神性と日本仏教の精神性から生まれた様式である。室の床には高低差が設けられ一段高い主室を上段、低い室を下段とするなど、格式という概念から生まれた建築様式といえよう。上座、下座という風習も書院造より始まった。なお、床の間の原型(付け書院、棚)、玄関、座敷、角柱、襖(ふすま)、縁側(えんがわ)など、現代の和風建築でも見られる要素がここから始まる。現代における和風建築の基本要素はこの書院造から始まった。
 和風建築と言えば畳であるが室内に畳を敷き詰め始めたのはこの書院造からである。畳は伝来したものではなく日本固有の文化。なお、室町時代は1336年~1573年までの間。その間に俗にいう戦国時代があった。なお書院造から始まった玄関は現代日本において極めて当然なものであるが武士の精神性と日本仏教の精神性から生まれた神性な要素であった。

【数寄屋・すきや近代以前は茶室の事を数寄屋(すきや)と呼んでいた。“数寄”とは茶道や生け花などを嗜むことである。数寄屋は独立した棟として建てるのが本流であった。母屋の屋と数寄屋の屋は同じ意味であり、独立した建物に「屋」を付ける風習に沿ったもの。茶屋という言葉もあった。住宅ではない。江戸時代頃より数寄屋を茶室と呼ぶようになったが、茶室という言葉で建物内の一室に据える茶室と、別棟として建てた数寄屋も含めて茶室と呼ぶようになってしまいっているので錯誤しやすい。日本語として誤りである事は否めない。
 さて安土桃山時代(室町時代の次の時代)に数寄屋の建築が始まったと考えられている。書院様式の茶室から数寄屋に発展した。茶人らが戦乱の世から隔絶した和(なごみ)の空間を求めた結果であろう。数寄屋の意匠は侘(わ)びを美とする美意識の影響があると考えられ(当初はまだ侘びという語を用いてそれを表現していなかった。江戸時代から。)、金や銀を使った装飾という物質の価値よりも精神性に重きをおき、身の回りに溢れる自然の中にある素材(竹や丸太や土など)が用いられる。そしてそれらの素材を時には無垢のまま、時には手仕事で丁寧に仕上げて、おもてなしの精神を籠めた空間が作られた。丁寧に多くの茶室は4.5畳以下(いわゆる小間:こま)の大きさである。豪華な印象を受けるような太い材料ではなく細めの材料が用いられる事によりスタイリッシュな印象を受ける。そのような侘び的な意匠の数寄屋は草庵風と呼ばれる事もある。草庵風茶室は千利休の美意識から生まれたものである。
 数寄屋によっては刀掛けを据えて屋内に刀を持ちいる事を禁じた造りになっていた。
 なお数寄屋には数百年の歴史があり時代により精神性的な事や建物のディテール(細部)が異なるがこの項目では最大限圧縮した理解を述べるに留める。

【数寄屋風書院造・すきやふうしょいんづくり俗に言う数寄屋造(すきやづくり)のこと。書院造の要素をもとに、数寄屋風(草庵茶室風)の侘び的な意匠で建てる建築様式が数寄屋風書院造。※以降、数寄屋造と省略する。旅館や料亭などの商業用家屋や一般住宅で見られる様式。江戸時代に始まりがあると言われている。書院造の要素を基本に格式ばったものではなく数寄屋に倣い線が細くスタイリッシュな侘び的な意匠である。
 徳川幕府下の江戸時代は戦乱の世を終え商業が栄えた。旅館や料亭などが施設の空間の美を競いあった結果、軽やかで粋な雰囲気の数寄屋風に店舗を作り始め(おもてなしの精神もあったであろう)、すると自然に住宅においても数寄屋風というものが現れ始めたと考えられる。戦乱の世に隔絶された空間を作り全身全霊で客をもてなそうと数寄屋を建てた時代とは趣が異なる理由で広まりをみせた。旅館や料亭などにおける数寄屋造は日本における商業としての空間デザインの始まりといえる。
 現代においても数寄屋造の新築がある。代表的であり秀逸な意匠の京都市中京区の炭屋さんの数寄屋造を検索してほしい。数寄屋の意匠が時代を超えて今日においても愛されている事を千利休らその文化の発展に命すら賭けた茶人らは天国で喜んでくださっていることだろう。なお、数寄屋造の設計にて第一人者の中村昌生教授のお言葉をお借りすると、木の美しさを生かし尽くそうとするデザインが数寄屋造との事である。数寄屋造りの中心といえば京都。ゆえ京風とも呼ばれる所以である。そして関東ではケヤキ材が特に好まれるが京都や関西では松材が好まれるのは数寄屋造りで好まれて使われるからという理由があるのではなかろうか。

【明治、大正、昭和時代】江戸時代が終わり明治となると庶民の家にも床の間が据えられるように。昭和の戦後の高度成長期に銘木業界は市場規模が大きなものとなり、表向きは和風建築のさらなる広まりの時期であるように見えたが、床の間の精神性などは忘れ去られ物置として使われてしまうなどむしろマイナスとなる消費となってしまった。和の美の世界は精神性から始まる世界であるのに物質のみが拡販され続けてしまったゆえの事であった。

【21世紀】和室があっても床の間が無いなど、床の間の原型が始まった(書院造)頃から数えて5~600年前後となる和風建築の歴史において急激な衰退が起きている状況である。そんな現状に危機感を覚え、銘木に関する用語のみでなく、あらためて和の美の世界や精神性、和風建築の概括を分かり易くかつ簡潔に語り直し、和風建築の美しさや素晴らしさを一人でも多くの人に伝えようとこの銘木辞典を企画した。

21世紀初頭においてはまだまだ和風建築や銘木の美しさ、それらの精神性を知る施主さんが少なからずいらっしゃる。衰退の一途にあるような和風建築に美を見い出し、和風建築に傾倒する若い施主さん(特に数寄屋造)が現れてきている。弊社で銘木を眺めて触れて和風建築のイメージを固められたらいかがでしょうか。ここで解説した書院造、数寄屋(茶室)、数寄屋風書院造、豪農風住宅など和風建築のそれぞれの様式に向いた銘木や建材を在庫しております。施工の際の加工アドバイスや材種の選び方のアドバイスも致します。

和風建築の歴史補足1
【豪農風住宅・ごうのうふうじゅうたく
現代に生きる日本人の多くの人が抱く和風建築のイメージはこの豪農風住宅ではなかろうか。古民家としてレストランなどに改修される事もある。多くの場合でケヤキ材を多用する。柱や梁(はり)などに太いケヤキ材を用いる為、数寄屋建築の侘び的な意匠と対極にある意匠となる。ケヤキは里では大変太く立派な大木に育つ。その生命力の強さと富のイメージが結びつくことや身近にある樹である事がケヤキ材が多く用いられる理由と考えられる。豪農風住宅は日本の里に似合う太く逞しく力強い意匠である。

和風建築の歴史補足2
【和風建築と真行草・わふうけんちくとしんぎょうそう
和の美の神髄となる概念である“真行草”。和風建築での真行草を解説すると、真とは書院造。草とは数寄屋風書院造。真と草の中間となる行とは・・・・「色付書院・いろつきしょいん」。書院造と数寄屋風書院造とがミックスされた中間的なものと定義されている。※中村昌生教授編集:数寄屋建築集成 銘木集 小学館より引用

和風建築の歴史補足3
【遠山邸について】
この銘木辞典にてご紹介した遠山邸は東棟(豪農風住宅)、中棟(書院造)、西棟(数寄屋風書院造)を総延長約100メートルの廊下で繋げた造りとなっている。意図的に基本を崩してある箇所もあるが、それらを同時に見学できる貴重な文化財である。

以上で和風建築の歴史の項目を終わる。今回取り上げた和風建築様式の概括を理解していればある程度の事を理路整然と理解できるようになるのではなかろうか。

 

★おわり
この銘木辞典をご覧いただいた皆さまの心に少しでも残った言葉があれば幸いである。以上で、(和)に始まり(和)に終わる銘木辞典の全ての項目が終わりとなる。あらためて思う事は和の世界は精神の美ありきという事。それは現代の世において効率的なものではでないが常に大切にしたいものである。ご精読ありがとうございました。

監修・川越銘木センター

企画立案・取材・ライティング:にらさわ、やすおみ(某自動車メーカー公式サイト企画、監修の経験。東証一部上場企業のマーケティング企画経験。現在他作家業)

参考文献